旦那の家では一年の中で一番大切な祭日です。
この日の欠席は、不可。(多分)
たとえ平日であろうと、仕事を終わらせてから渋滞の中2時間かけて旦那の実家へ向かいます。
毎年この日になると憂鬱なのは、毎年恒例の先祖礼拝があるからです。
このトピックは、婚約中に大喧嘩のもとになりました。
あと少しで婚約を破棄するくらいでした。
私はひざまづかない、ということで妥協したのだけれども、
それでも礼拝している人たちの後ろに立って祭壇に向かっているのは
なんだか具合が悪く、毎年家に帰るたびに罪悪感に苦しみました。
今年は、やらない。と心に決めていました。
どうして一緒に立たないのか、質問されたら、神様のことを話すチャンスになるからいいやい!と。
そのことを同僚や両親に話したら、相当心配されました。
問題は旦那です。
私から見たら、偶像礼拝でも彼にとっては家族の伝統です。
私が参加しないことによって一番辛いことになるのは彼です。
でも感謝なことに、話しにくいことでしたが、すごくいい会話ができました。
そして、私の感じていることを理解してくれて、
私も彼の考え方や、ジレンマや、なぜ両親に対して伝道できないかなど、
少し理解することができたと思います。
そして今まで決して「偶像礼拝」だと認めなかった彼は、確かに偶像礼拝かもしれない、と認めてくれました。
みんなが祭壇の前でおじぎしている間、私は写真をとったり、歩き回ったりしていました。
怒られなかったけど、質問もされなかった・・・。
神さまのために立ち上がることが、家族を傷つけることになるかもしれないけど、
もっと真実に生きたいと思ったんです。今年は。
参考までに、写真アップします。そうすることが正しいのか、よくわからないけれど、
どうかお祈りしてください。先祖に祈ることが、偶像礼拝になると思わずにしているとおもうんです。
でもそのことを私がうまく説明できるとは、思えないのが現状です。
まず、キリストの愛を・・・とも思うんだけど、優しくすることにかけては、旦那の家族たちのほうが私の10倍くらい上手です。そういう、ふわふわしているものだけでは、伝わらないのでは、と思い始めています。
1 comment:
前々回のコメントありがとうございました。
「ヘルプしてもらうのが大丈夫な人がつづけられるのではないでしょうか。」に納得できた気がしました。わたしもヘルプしてもらうことを喜べる人になりたいと、変わりたいと思っています。既に一人で頑張れる(と勘違いしていただけ)範囲を超えてしまってます。
どんなに大事なこどもでも、やっぱり神様との時間がないと自分が駄目になってしまうし、自分のリラックスタイムや充電もこどもと家族のためにも大事だと分かってきたので、そんな時は、主人だけでなく、教会の方や、時には近所の方の助けも借りた方がよいみたいです。
ご夫妻への主の祝福をお祈りしています。
先祖礼拝のことも、一歩踏み出せてよかったですね。小さなヨルダン川も、神様はちゃんとせき止めてくださる。両家に祝福がありますように。
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