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Sunday, October 05, 2008

神が私たちの味方であるのなら、だれが私たちに敵対できるでしょう

今、アメリカの経済が大変なことになっていて、世の中は不安感でいっぱいです。
今日のメッセージはパワフルで、力づけられました。
稚拙な訳ですが、シェアしますね。

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The Rock of Anaheim, Pastor Jerry Dirmann
10/05/2008

ローマ8:31
「では、これらのことからどう言えるでしょう。
神が私たちの味方であるのなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」

モーセがイスラエルの民を救いだす者として神様に召されたとき、
モーセは恐れてこう言った。

出エジプト3:11
「私はいったい何者なのでしょう。
パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」

その問いに神様は、ただこう答えた。

3:12「わたしはあなたと共にいる。」

神様はモーセが誰であるか、何の資格や才能があってこの大きな困難に立ち向かえるかということには全くふれていない。あなたが誰であるか、ではなく、誰があなたと共にいるかの方が大切だからである。

神が私たちの味方であるのなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

ここで気になるのは「なら」である。英語では"IF"となっている。
つまり神様が私たちの味方でない場合もあるということだ。
例えば、ヤコブ4:6には「神は、高ぶる者を退ける」と書いてある。
この退けるということばの言語には、神様が私たちと戦われる、抵抗する、という意味がある。
神様が私たちに敵対していると、何をしていても難しく感じる
そのような立場には決してなりたくない。
「へりくだる者に恵みをお授けになる。」
謙遜になって神様の恵みと助けを受けるほうがずっといい。

ローマ8:31
「では、これらのことからどう言えるでしょう。
神が私たちの味方であるのなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」

「どう言えるでしょう」と問いかけている。
これは、どのような結論になるでしょう、とか、どのように考えればいいでしょう、という意味ではない。
原語を見るとはっきりと、これは実際に私たちが口にすることばについて言っているのがわかる。
困難や試練に出会うとき、私たちがどのように「語ればいい」あるいは「話し方」をすればいいのか。

圧力がかかると中身が出てくる。
歯磨き粉のふたをあけると、中身が出て来てしまうことがある。
そして一度外にでてしまったものはもどすのが難しい。
私たちのことばもそのようなものだ。
困難に会ったとき、私たちが思わず口にしてしまう言葉はどのようなことばだろう。
普段私たちが心に満たしているものが、プレッシャーがかかるときについ出てくるのだ。

大変なことに出会うときは、私たちは
「神が私たちの味方であるのなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」
と言えているだろうか。

マラキ3:13
「あなたがはわたしに、かたくななことを言う。」と主は仰せられる。
あなたがたは言う。
「私たちはあなたに対して、何を言いましたか。」

私たちは自分で何を言っているのか気づいていないことが多い。
無意識のうちに、神様の存在を否定するようなこと、神様の約束がまるで無効であるようなことを
口にしていないだろうか。私たちは目に見えることを語るのではなく、
神のことば、真理について語るべきだ。

マラキ3:14
あなたがたは言う。
「神に仕えるのはむなしいことだ。
神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、
何の益になろう。」

教会に行っていても、献金をしても、神様に仕えていても、
何の役にも立たない、と言っていないだろうか。
仕事を首になってしまったとき、私たちはついこう言ってしまう。
「ああ、仕事がなくなってしまったから、早く、何とかしなければならない。」
神様の存在は、恵みは、約束はどこにあるのだろう。
私たちは備え主である神様の存在を、この一言で否定してしまっているのではないか。

マラキ3:16
そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った。
主は耳を傾けて、これを聞かれた。

神様は私たちが互いに語り合うことばも聞いている。
クリスチャン同時が語るとき、それが祈祷会ではなく、普通の会話のときでも神様は耳を傾けている。
会議で語ることばも。家庭で語ることばも。神様はあなたの言葉を聞いている。
そして主を恐れているものが語ることばを聞いて神はこう言われる。

マラキ3:17
彼らはわたしのものとなる。万軍の主は仰せられる。

神が私たちの味方であるのなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

詩篇91:1−2
いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げよう。
「わが避けどころ。わがとりで、私の信頼するわが神。」と。

私たちが困難の状況にあり、周り中敵に囲まれているような時でも、
私たちは神様に対して、自分の口からでることばで宣言することができる。
「主よ、あなただけが私の信頼する神。あなたがわたしを守る者です。」
すると神はすぐにこう答えてくださる。

91:3
「主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたをすくいだされるからである。」
91:5
「あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛びくる矢も恐れない。」
91:7
「千人が、あなたのかたわらに、万人があなたの右手に倒れても、
それはあなたには、近づかない。」

「かたわら」や「右手」にいる周りの人が倒れている。それでも神様は悪いものがあなたに近づかない言われる。
それはどういうことだろう。もうすぐ近くに災難があるというのに。
あなたは、ひどい雨やひょうが降っているときに、車の中にいたことがあるだろうか。
ものすごく大きな音を立てて周り中に雨が降っているのに、私たちはぬれることなど心配しない。
それは周りの雨と自分の間に車があって、私たちは守られているからだ。
私たちは霊的に起きていることが見えないが、神様に信頼する人の周りには、
霊的にシールドがある。私たちの目に見えない神様のとりでがあるのだ。

困難なとき、景気が悪い時、周りから圧力がかかるとき、私たちは世の中の人と違う言葉を語らなければならない。
なぜなら、私たちには、守ってくださる方、備えてくださる方がいるからだ。
風邪が流行っているときにこういう人がいる。
「予防注射を受けに行かなきゃ。私、すぐに風邪ひいちゃうのよ。」
私は、まわりの人が風邪をひいても、自分はひかないと宣言する。
あなたの周りには、しゃべり方や態度や態度が悪いせいで損をしてしまう人がいないだろうか。
思わず力を貸したくなるような態度の人と、この人とは関わりたくないと思ってしまう態度の人。
私たちも神様が力を貸したくなるような態度をとらなければならない。

だれかが重いものを動かそうとしているときに、手伝おうとしたことがあるだろうか。
その時、あなたを見て、「いや、結構です。あなたの力じゃ足りないと思うので。」と言われたら、助ける気もなくなるだろう。しかし、私たちは「わたしはあなたを助ける」という神様に対して、同じ事をしていないだろうか。

詩篇23:1
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」

神様に愛されたダビデは、きっと何かが足りない、大変な状況にあったのだと思う。
その時にかれが口にしたことばが23篇だ。この詩篇はダビデの口から語られた信仰のことばだ。
足りないとき、貧しいとき、力が欠けているときに、ダビデは「神様がいるから大丈夫」と言う。

エリシャとその召使いが、アラムの軍隊に包囲されているとき、召使いは恐れおののいた。
しかし、エリシャはこう言った。
2列王記6:16
「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」
そのときにエリシャが実際に天使の軍勢を見ていたのかどうか、聖書ははっきりと記していない。
しかし、エリシャは、目に見えている現実と、霊的な現実が全く違うことを知っていた。
しかもこの神さまからの火の馬と戦車は戦う必要もなかった。
神様のたった一言で、アラムの軍隊は一人残らず盲目になったのだ。

神が私たちの味方であるのなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

箴言24:10
「もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。」

イサクはききんのある年に、ききんのある土地に種を撒いて、百倍の収穫を見た。(創世記26:22)
それは主が彼を祝福してくださったからだ。
神様はあなたがなんとか生き延びればいいと思っているだけではない、あなたを祝福し、豊かにしたいと思っている。

神が私たちの味方であるのなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

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