おばあちゃんが来てから、もう10日たった。最初は緊張していたけど、最近はよくおしゃべりするようになって、笑ったり、私たち夫婦はこどもみたいで楽しいと言ってくれたりする。ごはんも、おいしいって食べてくれる。来てもらってよかった。本当に。ことばもよく通じないから、どうやってイエスさまや神様のことを話そうか、頭をひねっていたけど、多分何かが伝わっていると思う。うちに来てから、病気を一度もしていない、とか。嬉しいことを言ってくれる。
おばあちゃんが来る前の夜、客間のベッドに手を置いて、レーガンとふたりで祈った。ごはんの前も、おばあちゃんは食べ始めているけど、ふたりで祝福しているんだ。わたしが仕事に出るときは、「神様、天使を送ってこの家と、おばあちゃんをお守りください。」って出掛けに祈っている。神様の臨在がうちにはあると信じます。クリスチャンはだれでも、「聖霊を携えるもの」だという意識をもつべきだと、習った。どんなに暗い場所に足を踏み入れても、わたしの中にいるイエスさまの光が輝きだしているんだって。もしかしたら、自分では気づかないかもしれないけど。それぐらい、「神様が共にいる」っていうことはすごいことだ。だから、おばあちゃんがうちにいる間はずっとイエス様の光や香りやらがうじゃうじゃしている所にいるんだ・・・。
おもしろいこともたくさんあった。痔の薬と歯磨き粉を間違えちゃったり、電気ポットがこわれて(ずっとお湯を沸かし続ける)足しても足しても水がなくなっちゃったり、台所のシンクで髪の毛をシャンプーする方法を発見したり、おばあちゃんのお父さんはお豆腐やさんだということを初めて知ったり。レーガンも最初の2日間はイライラしてどなったりしていたけど、今はみんな和やかだ。
92歳のおばあちゃんを見ていて思うのは、お年寄りの人がボケているって、簡単に決め付けちゃいけないってこと。あと、耳が聞こえないからって、イライラしたり、どなったりしちゃだめだってこと。なんでも、手伝うんじゃなくて、自分でできるように工夫してあげること・・・。だって、大人なんだよね。私たちよりずっと難しいことを経験して、子供も孫も育て上げて、きっとわたしよりずっと知恵も知識もある。馬鹿にしちゃいけないよなぁ、と思った。あと、失敗するとすごく落ち込んでいるんだよね。薬を間違えちゃったり。そうすると、「老人はかわいそうだ。何も楽しみがない。耳も悪いし、目も悪いし、歯も悪い。早く死んでしまいたいけど、自殺もできない。」どの日の会話にも、一度はかならずこのフレーズが出てくるんだけど、確かにそうかも。
まだ、若いうちに造り主である主を覚えよ。年を取って、何も自分でできなくなっても、私は私を造ってくださった方を覚えていよう。ただ死ぬために生まれてきたんじゃなくて、毎日が神様に与えられている目的に満ちているってこと。私の日数は限られていて、今力があるうちにたくさんやりたいことがあるってこと。
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